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【現代社会学部】嘉本ゼミ隠岐の島フィールドワークII 〜あざ美荘の女将編~

                                         嘉本ゼミ4回生 W.Sさん

 海士町で偶然宿泊した「あざ美荘」が、山内道雄町長のご自宅であることが分かった。山内町長は「海士町には若者が必要だ」との強い思いから、島唯一の高校である隠岐島前高校を廃校の危機から救い、島外から多くの若者を呼び込むことに成功した、海士町の元町長である。残念ながら、山内町長は2024年に逝去されていたため、今回は奥様の敏子さんにお話を伺った。場所は、旭日章の勲章や賞状が飾られた20畳ぐらいの広間で、宿泊客が食事をするスペースで約1時間半にわたってインタビューを行った。

 昭和17(1942)年生まれの敏子さんは海士町で育ち、中学卒業後に神戸の美容専門学校へ進学した。20歳のときにお見合いで山内町長と出会い、お母様の後押しもあって結婚されたという。帰郷後は美容室を開業し、かつては正月に結婚式や成人式が集中したため「4日間眠れなかったほど忙しかった」と語るほどの繁盛ぶりだった。

 人付き合いがよく、人望の厚い山内町長は人とのつながりに多くの時間と労力を注いでいたため、敏子さんは笑いながら「お金を家に入れてもらったことがないのよ(笑)」と話してくださった。それでも敏子さんは自らの力で「あざ美荘」を建てるほどに働き、お二人のお子さんを育てながら、ご主人を陰で支え続けた。

 私たちがインタビューした部屋は、山内町長はよくその場所に部下を呼んで集まりを開いていたそうだ。敏子さんは、おつまみになる料理を用意し、ほかの方々の奥様が持たせたおかずと一緒に、お酒を飲みながら、皆で将来の構想を練っていたと聞き、当時の光景を思い浮かべるととても感慨深かった。

 町民や職員が自然と付いていきたくなる山内町長のリーダーシップの背後には、たくましく地域と家庭を支えた敏子さんの存在があった。今回のフィールドワークを通して、海士町の再生は町長一人の功績ではなく、敏子さんのような「地域のキャリアウーマンの先駆け」がいたからこそ成し遂げられたのだと実感した。 
  • 旭日章の賞状 山内道雄元海士町町長と敏子さんの写真
  • あざ美荘(隠岐の島 海士町)と敏子さん
  • 美味しかった夕食。怖い思いをしたゼミ生がいるので今回は顔出しNGだそうです。(嘉本)