現代社会学科
【現代社会学部】嘉本ゼミ隠岐の島フィールドワークI ~大人の島留学生になったゼミ生~
嘉本ゼミ A.Oさん
2025年10月17日。私たち嘉本ゼミは、隠岐の島、島前の中ノ島菱浦港に到着した。出迎えてくれたのは、嘉本ゼミのゼミ生であるAさん。彼女は、今年の4月から、大学を1年間休学し、大人の島留学生として海士町で、インターンシップをしている。
私達は、到着して二日目に、彼女の職場である「つなかけ」という、島の素材を使った雑貨やお土産を扱うセレクトショップを訪問した。昔、海沿いで船を繋いでいた松を「綱かけ」と呼び、その由来がショップ名である。「Aさんは、島留学前の面談で観光産業に興味があるといったことから、このショップで働くことになった。他にも、福祉、教育、など選べたという。彼女の、直属の上司の方にご挨拶をすると、「すごく助かっている。もっといてほしい」とおっしゃっていた。
Aさんと一緒に島をめぐっていると様々な人と挨拶をしていた。同年代の島留学生から、バスの運転手のおじさん、年齢も性別もバラバラの人たちと繋がりを持っていた。皆、フレンドリーで私達も、彼女を通して地域の方とお話する機会を得た。
フェリー乗り場で出会った河浜さん(72)は、船乗りで、北極海や北朝鮮などに寄港したお話を聞かせていただいた。(彼と写真を撮らなかった事を公開している)話に花が咲き、途中でお名前を伺った所、「ほら、あんた教えてあげて」とおっしゃった。しかし、Aさんは河浜さんの名前も、連絡先も知らず、ヨッ友(会ったら、ヨッと言う関係)ことを知り、お互いに名前を知らないのに、お互いの事をよく知っている関係性に驚いた。Aさんは、「どうせまた、会えるから連絡先なんて聞いたことがない」と島の人々に受け入れられ、島に染まりきっていた。
私が、Aさんが海士町に来て変わったと思ったエピソードがある。一緒に旅館に泊まったAさんは、朝起きると、ひとりで外に出ていった。自販機に飲み物でも買いに行ったのかと思っていたら、朝七時にも関わらず、一人で散歩をしていた。休学する前のAさんは、昼夜逆転生活で、電車を一本逃すと、ゼミを欠席するタイプだった。鍵をかけていない玄関から地元の人が勝手に入り、釣った魚を冷蔵庫に入れておいてくれる。帰宅後、20匹の魚を三枚におろすのに1時間以上は費やすという。とても健康的になり、顔色もよくなった彼女に驚いた。
私自身、この島にきて驚きの連続だった。ここに来るまでは、島はもっとさびれていると思っていた。しかし、 Paypayのような電子決済で海士町独自通貨ハーンペイというものがあり、島では現金しか使わないだろうと思っていた私からすると、本土よりも進んでいる事に驚いた。また、本土から来た、私達大学生のような若者は物珍しく見られると思っていた。しかし、私たち世代の島留学生として来ている人や、本土から海士町に嫁いできた人も多く、「京都から来た」と言っても驚かれるどころか、「私も京都出身です。」と返されるほどだった。
Aさんと一緒に町の人と話すうちに、町が栄えているのは町の人々が島外から来る「よそもの」に対しても、明るく受け入れてくれる姿勢にあると感じた。そんな姿勢が、Aさんを含む島留学生を支えているのではないかと感じた。
2025年10月17日。私たち嘉本ゼミは、隠岐の島、島前の中ノ島菱浦港に到着した。出迎えてくれたのは、嘉本ゼミのゼミ生であるAさん。彼女は、今年の4月から、大学を1年間休学し、大人の島留学生として海士町で、インターンシップをしている。
私達は、到着して二日目に、彼女の職場である「つなかけ」という、島の素材を使った雑貨やお土産を扱うセレクトショップを訪問した。昔、海沿いで船を繋いでいた松を「綱かけ」と呼び、その由来がショップ名である。「Aさんは、島留学前の面談で観光産業に興味があるといったことから、このショップで働くことになった。他にも、福祉、教育、など選べたという。彼女の、直属の上司の方にご挨拶をすると、「すごく助かっている。もっといてほしい」とおっしゃっていた。
Aさんと一緒に島をめぐっていると様々な人と挨拶をしていた。同年代の島留学生から、バスの運転手のおじさん、年齢も性別もバラバラの人たちと繋がりを持っていた。皆、フレンドリーで私達も、彼女を通して地域の方とお話する機会を得た。
フェリー乗り場で出会った河浜さん(72)は、船乗りで、北極海や北朝鮮などに寄港したお話を聞かせていただいた。(彼と写真を撮らなかった事を公開している)話に花が咲き、途中でお名前を伺った所、「ほら、あんた教えてあげて」とおっしゃった。しかし、Aさんは河浜さんの名前も、連絡先も知らず、ヨッ友(会ったら、ヨッと言う関係)ことを知り、お互いに名前を知らないのに、お互いの事をよく知っている関係性に驚いた。Aさんは、「どうせまた、会えるから連絡先なんて聞いたことがない」と島の人々に受け入れられ、島に染まりきっていた。
私が、Aさんが海士町に来て変わったと思ったエピソードがある。一緒に旅館に泊まったAさんは、朝起きると、ひとりで外に出ていった。自販機に飲み物でも買いに行ったのかと思っていたら、朝七時にも関わらず、一人で散歩をしていた。休学する前のAさんは、昼夜逆転生活で、電車を一本逃すと、ゼミを欠席するタイプだった。鍵をかけていない玄関から地元の人が勝手に入り、釣った魚を冷蔵庫に入れておいてくれる。帰宅後、20匹の魚を三枚におろすのに1時間以上は費やすという。とても健康的になり、顔色もよくなった彼女に驚いた。
私自身、この島にきて驚きの連続だった。ここに来るまでは、島はもっとさびれていると思っていた。しかし、 Paypayのような電子決済で海士町独自通貨ハーンペイというものがあり、島では現金しか使わないだろうと思っていた私からすると、本土よりも進んでいる事に驚いた。また、本土から来た、私達大学生のような若者は物珍しく見られると思っていた。しかし、私たち世代の島留学生として来ている人や、本土から海士町に嫁いできた人も多く、「京都から来た」と言っても驚かれるどころか、「私も京都出身です。」と返されるほどだった。
Aさんと一緒に町の人と話すうちに、町が栄えているのは町の人々が島外から来る「よそもの」に対しても、明るく受け入れてくれる姿勢にあると感じた。そんな姿勢が、Aさんを含む島留学生を支えているのではないかと感じた。
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