

現代社会学科
【現代社会学部】ゼミで博物館を見学することもあります
東福寺展 https://tofukuji2023.jp/
こんにちは。現代社会学部教員の江口です。一つ前の記事では、ゼミで智積院などのお寺さんに行くことがあるという話を書きましたが、その智積院さんの斜向いには京都国立博物館という立派な博物館があって、常設展は京女の学生は学生証を見せるといつでもタダで入ることができ、特別展も格安で入場できます。ゼミの時間を使って見学して京都や文化・芸術などの学習をすることもあります。(教室での勉強が嫌いだから博物館に行くのではありません!)
常設展だけでもけっこう素敵なものが見られるのですが、今回は(これまた京女から徒歩15分ほどの)東福寺さんという禅宗のお寺さんの秘宝の展示やってたのでみんなで見てきました。
だいたいいつも庭園にあるロダンの「考える人」の銅像の前で記念撮影して、あとはばらばら/グループに分かれてゆっくり見ましょう、みたいな感じですね。下の写真はそれぞれ2回生と3回生です。内部は写真とるの禁止なので記念撮影と「印象に残った展示物」エッセイだけ紹介します。
ただ見るだけでは授業時間を使うのがもったいないので、軽い見学記事を書いてもらいます。下はその一部です。
京都国立博物館で行われていた展示「東福寺」では京都を代表する禅宗である東福寺の寺宝を楽しめる。これは完全に個人の感想になるが、展覧会を訪れ最初に感じたのは「全体的に字が汚い」という事だ。例えば13世紀に書かれた『円爾宛尺牘』では、円爾が修行を経たのちの卒業証書にあたるような手紙を急いで書いていたのだろうか、ぎゅうぎゅう詰めの字が乱雑と書かれており、縦のラインは右に傾いていた。必死さと人間らしさを感じるのだが、展示されていたその他の書物も字が汚いように見えた。私の好みの問題でもあるため何とも言えないが、この展示会の第一印象はそんなものだった。
このように私にはピンとこない文化財が並んでいたのが、しかし一つだけとても目を引くものを見つけた。それは円爾自賛の重要文化財である『円爾像』だ。1279年に描かれたもので現在は京都の万寿寺が所蔵している。この絵の何が私の目を引いたかというと、それは円爾の壮大さである。紙の一面いっぱいに大きく円爾の像が描かれており、堂々と開いた脚や、鋭く目線の先を見つめるような厳しい表情から彼のとてつもない威厳を感じる。確かに、今回の展示には円爾を描いた肖像画は沢山あった。例えば、有名な絵仏師である明兆が描いたという円爾像も見かけたが、少々こぢんまりとして見えそれほどのインパクトはない。あくまで円爾を高僧として敬意をもって綺麗に描いてあるだけのように感じる。それに比べると自賛の円爾像はそのプライドや尊厳さ、貫禄がにじみ出ている作品だった。もしも私がこの展示の中からひとつ頂くとすれば、やはりこの作品だろう。こんなエネルギッシュな肖像画を毎日眺めることが出来れば、日々生活するための不思議なパワーと元気がもらえそうだ。
東福寺展で気になったことについて述べていく。
まず、第1章「東福寺の創建と円爾」では「仏鑑禅師語録 第1、3冊」という作品と「普門院院主職譲状」という作品が印象に残った。どちらの作品も文字がつらつらと書かれているのだが、前者はまるで機械が描いたかのような綺麗な字と並びをしているのに対し、後者はあまり達筆ではなく字も斜めになっていた。どちらも歴史的に貴重な文書ということで、「人の手から離れた完成された作品」として見ていたが、やはり筆跡の違いがあったりというところで人間が描いたものなんだなと実感した。
次に、第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」では、まず全体的に像の目がリアルすぎて怖かった。本当に生き物の目のような色や輝きをしていて、「この素材は当時からあったものなのか……?」と疑問に感じた。もしも後から目だけ何かはめ込まれたのだとしたら元々の目はどうなっていたのだろうと思った。それから、「~天」という名前がついている方々は皆何かを踏んづけていて、何を踏んでいるのか気になって後で調べてみると、あれは「邪鬼」という人に悪さをふりまく鬼を踏んでいるそうで、勉強になった。
200点以上の展示物のなかでとりわけ印象に残ったものは、『五百羅漢図』だ。これは明兆という室町時代中期に活躍した画僧の作品で、羅漢たちが寺院で集団生活する様子を描いたのである。羅漢たちが神通力で雲に乗っていたり、机に向かって勉強会をしていたり、7点ほどの作品が展示されていた。会場の3階から1階にかけて様々な高僧の像や画があり、揃って神妙な面持ちをし、茶色くくすんだ和紙に馴染んだ深みのある色遣いで描かれてているなかで、『五百羅漢図』は異質だった。
まず羅漢達の極彩色の袈裟に目をひかれた。背景が奥行きある水墨画で描かれている分、より一層人物が際立って見えた。一方で、袈裟の色や柄、肌まで羅漢全員が異なった色味をしているにもかかわらず、人物同士の調和が取れている。赤の大衣に反対色である緑の袈裟を組み合わせるなど、色彩調和のセオリーから見てかなり挑戦的な配色をしていてるのだが、僧侶単体はもちろん、隙間なく並ぶ周囲の僧侶とも絶妙にマッチしており、本当にオシャレな色遣いで、ずっと眺めていたいと思った。

こんにちは。現代社会学部教員の江口です。一つ前の記事では、ゼミで智積院などのお寺さんに行くことがあるという話を書きましたが、その智積院さんの斜向いには京都国立博物館という立派な博物館があって、常設展は京女の学生は学生証を見せるといつでもタダで入ることができ、特別展も格安で入場できます。ゼミの時間を使って見学して京都や文化・芸術などの学習をすることもあります。(教室での勉強が嫌いだから博物館に行くのではありません!)
常設展だけでもけっこう素敵なものが見られるのですが、今回は(これまた京女から徒歩15分ほどの)東福寺さんという禅宗のお寺さんの秘宝の展示やってたのでみんなで見てきました。
だいたいいつも庭園にあるロダンの「考える人」の銅像の前で記念撮影して、あとはばらばら/グループに分かれてゆっくり見ましょう、みたいな感じですね。下の写真はそれぞれ2回生と3回生です。内部は写真とるの禁止なので記念撮影と「印象に残った展示物」エッセイだけ紹介します。


ただ見るだけでは授業時間を使うのがもったいないので、軽い見学記事を書いてもらいます。下はその一部です。
京都国立博物館で行われていた展示「東福寺」では京都を代表する禅宗である東福寺の寺宝を楽しめる。これは完全に個人の感想になるが、展覧会を訪れ最初に感じたのは「全体的に字が汚い」という事だ。例えば13世紀に書かれた『円爾宛尺牘』では、円爾が修行を経たのちの卒業証書にあたるような手紙を急いで書いていたのだろうか、ぎゅうぎゅう詰めの字が乱雑と書かれており、縦のラインは右に傾いていた。必死さと人間らしさを感じるのだが、展示されていたその他の書物も字が汚いように見えた。私の好みの問題でもあるため何とも言えないが、この展示会の第一印象はそんなものだった。
このように私にはピンとこない文化財が並んでいたのが、しかし一つだけとても目を引くものを見つけた。それは円爾自賛の重要文化財である『円爾像』だ。1279年に描かれたもので現在は京都の万寿寺が所蔵している。この絵の何が私の目を引いたかというと、それは円爾の壮大さである。紙の一面いっぱいに大きく円爾の像が描かれており、堂々と開いた脚や、鋭く目線の先を見つめるような厳しい表情から彼のとてつもない威厳を感じる。確かに、今回の展示には円爾を描いた肖像画は沢山あった。例えば、有名な絵仏師である明兆が描いたという円爾像も見かけたが、少々こぢんまりとして見えそれほどのインパクトはない。あくまで円爾を高僧として敬意をもって綺麗に描いてあるだけのように感じる。それに比べると自賛の円爾像はそのプライドや尊厳さ、貫禄がにじみ出ている作品だった。もしも私がこの展示の中からひとつ頂くとすれば、やはりこの作品だろう。こんなエネルギッシュな肖像画を毎日眺めることが出来れば、日々生活するための不思議なパワーと元気がもらえそうだ。
東福寺展で気になったことについて述べていく。
まず、第1章「東福寺の創建と円爾」では「仏鑑禅師語録 第1、3冊」という作品と「普門院院主職譲状」という作品が印象に残った。どちらの作品も文字がつらつらと書かれているのだが、前者はまるで機械が描いたかのような綺麗な字と並びをしているのに対し、後者はあまり達筆ではなく字も斜めになっていた。どちらも歴史的に貴重な文書ということで、「人の手から離れた完成された作品」として見ていたが、やはり筆跡の違いがあったりというところで人間が描いたものなんだなと実感した。
次に、第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」では、まず全体的に像の目がリアルすぎて怖かった。本当に生き物の目のような色や輝きをしていて、「この素材は当時からあったものなのか……?」と疑問に感じた。もしも後から目だけ何かはめ込まれたのだとしたら元々の目はどうなっていたのだろうと思った。それから、「~天」という名前がついている方々は皆何かを踏んづけていて、何を踏んでいるのか気になって後で調べてみると、あれは「邪鬼」という人に悪さをふりまく鬼を踏んでいるそうで、勉強になった。
200点以上の展示物のなかでとりわけ印象に残ったものは、『五百羅漢図』だ。これは明兆という室町時代中期に活躍した画僧の作品で、羅漢たちが寺院で集団生活する様子を描いたのである。羅漢たちが神通力で雲に乗っていたり、机に向かって勉強会をしていたり、7点ほどの作品が展示されていた。会場の3階から1階にかけて様々な高僧の像や画があり、揃って神妙な面持ちをし、茶色くくすんだ和紙に馴染んだ深みのある色遣いで描かれてているなかで、『五百羅漢図』は異質だった。
まず羅漢達の極彩色の袈裟に目をひかれた。背景が奥行きある水墨画で描かれている分、より一層人物が際立って見えた。一方で、袈裟の色や柄、肌まで羅漢全員が異なった色味をしているにもかかわらず、人物同士の調和が取れている。赤の大衣に反対色である緑の袈裟を組み合わせるなど、色彩調和のセオリーから見てかなり挑戦的な配色をしていてるのだが、僧侶単体はもちろん、隙間なく並ぶ周囲の僧侶とも絶妙にマッチしており、本当にオシャレな色遣いで、ずっと眺めていたいと思った。