理事長メッセージ

 与えられたいのちの不思議にめざめ 
人間のおごりをすて すべてのいのちを大切にしよう
えがたくかぎられた かけがえのない人生
ともに尊ぶ世界をひらこう

学校法人 京都女子学園 理事長・学園長 芝原玄記

学校法人京都女子学園 理事長・学園長 
芝原玄記

私立学校法の第一条には、「私学の特性」ということが謳われています。別の言葉では「私学の独自性」とも言われます。私立学校は国公立学校とは異なり、設立者の教育に対する願いと、私人の財産の寄付に基づいて設立されています。その「願い」は、私立学校成立の前提であり、それぞれの学校の教育目標として掲げられ、また長い歴史の中で、学風となって生き続けています。そのような私立学校の独自性の根幹となる理念を「建学の精神」といっています。

京都女子学園の歴史は、その前身の時代を含めると、今から124年前に遡ります。広島県出身の若き仏教徒である甲斐和里子先生は、「多くの少女たちのために、仏教主義の学校を」との願いのもとに、明治32年、京都の一隅に小さな学校を設立されました。それ以来、「親鸞聖人の体せられた仏教」は、京都女子学園の教育理念、すなわち人格完成の基盤として、大切に継承されて今日に至っています。

親鸞聖人(以下「親鸞」といいます。)は、平安時代末期から鎌倉時代中期までの90年間を生きた、わが国を代表する宗教人です。親鸞の宗教を一言で表現すれば、「本願の宗教」ということが出来るでしょう。本願とは「原初の願い」という意味です。一切のいのちある存在は、その誕生の刹那から死滅の瞬間にいたるまで、「原初の願い」に包み込まれているのです。およそ38億年前、この地球上に唯一つの生命が誕生しました。現在地球上に生きる5千万種類の生き物のいのちは、すべてこの38億年前のただ一つのいのちに繋がっています。38億年間の「いのちの営み」の中で、個別のいのちは生と死を繰返してきました。しかしそれら無数の生と死は、すべて「大いなるいのちの営み」の「出来事」であり、「表情」であったと言えましょう。

「大いなるいのちの営み」を、古代インドの人は「アミターユス」と表現しました。中国では「無量寿」と翻訳されました。阿弥陀仏の本願を説く「仏説無量寿経」という経典は、「大いなるいのちの営み(アミターユス)」に気付き目覚めた、ゴータマブッダの教えの記録であるといえましょう。親鸞は、数ある経典の中で仏説無量寿経を「真実の教」と定義して、そこに説き明かされる「本願の論理」を疑いなく受け入れることのみが重要であることを主張しました。ハーバード大学教授であったロバート・N・ベラー博士は、このような親鸞の仏教受容を「仏教の根本経験の再現」(re-enactment of the fundamental experience of Buddhism ※)と指摘しています。「親鸞聖人の体した仏教」すなわち「本願の宗教」は、ゴータマブッダによって成し遂げられた「仏教の根本経験」、すなわち「無我の思想」を再現し、仏教の本来の道である「無我伝承」を、およそ1800年の歳月を隔てて実現したものであるということが出来ると思います。

このような親鸞精神に立脚して、京都女子学園は、この学園に学ぶ総ての人々が宗教に対する理解を深め、宗教に対する親しみをもつとともに、宗教に対する正しい批判力を身につけてほしいと願っています。

※ The Contemporary Meaning of Kamakura Buddhism(Journal of the American of Religion)


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